Skip to content

洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を施す

イエスのバプテスマ(洗礼): あなたにとってそれは何を意味しますか?

人は本能的に自分が「穢れている」と感じます。これは、世界の宗教や伝統に多くの違いがあるものの、神に近づくときは常に水で清めることが必要であるという共通の考え方があるからです。 イスラム教徒は祈りの前にウドゥ、(儀式的な洗浄)を行います。ヒンドゥー教では、神聖な祭りの前に身を清めるために、ガンジス川のような神聖な川で沐浴する習慣があります。仏教の僧侶は瞑想する前に水で体を清めます。神道では礼拝の前に祓(はらえ)、つまり儀式的なお清めが行われます。ユダヤ人は、特に神聖な祭りの前に、テビラ(ミクヴェ、または、風呂に全身を浸すこと)を実践します。キリスト教世界では、洗礼が同様の役割を果たします。 洗礼のやり方は、教会によってさまざまですが、パウロは、過越の祭りの直後のイスラエル人の出エジプトを、紅海が分かれてイスラエル人がその中を歩いた瞬間と呼んでいます。奇跡的な誕生はイサクの誕生と類似しており、ここで取り上げています)。イエスはなぜ洗礼を受けたのでしょうか。彼は清める必要はありませんでした。マタイの福音書に記録されているように、イエスが洗礼を求めて近づいてきたとき、洗礼者ヨハネは次のように言いました。 13 そのころイエスは、ガリラヤからヨルダン川へ来て、ヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けようとしていました。 14 ところが、ヨハネはそうさせまいとして言いました。「とんでもないことです。私こそ、あなたからバプテスマを受けなければなりませんのに。」 15 しかしイエスは、「今はそうさせてもらいたい。なすべきことは、すべてしなければならないのです」とお答えになり、ヨハネからバプテスマを受けました。 16 イエスが、バプテスマを受けて水から上がって来ると、突然天が開け、イエスは、神の御霊が鳩のようにご自分の上に下るのをごらんになりました。 17 その時、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえてきました。 マタイの福音書 3:13-17 イエスは穢れを清めるための洗礼を必要としませんでした。彼はすでに内面が清かったので、物理的に彼を穢すものは何もありませんでした。しかし、彼の洗礼は、彼のイスラエルとの関係を示すもう一つの指標でした。イスラエルが洗礼を受けたように、彼もまた洗礼を受けたのです。 …杯の洗礼 福音書における「洗礼」とは何でしょう。 福音書がこの言葉をどのように使っているかに注目することで、答えに辿り着くことができます。ユダヤ教の儀式的な洗浄に関するコメントとして、マークは次のように述べています。 3 もともと、パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人の言伝えをかたく守って、念入りに手を洗ってからでないと、食事をしません。 4 また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと、食事をせず、なおそのほかにも、杯、鉢、銅器を洗うことなど、昔から受けついでかたく守っている事が、たくさんありました。 マルコの福音書 7:3-4 原文では「wash」という単語が 3 回登場します。(下線部が該当箇所です)元のギリシャ語では、最初の洗浄 (v3 の) はnipsōntaiで、これは、洗うという意味の単語です。しかし、4 節の他の 2 つの「洗う」は baptismous… Read More »イエスのバプテスマ(洗礼): あなたにとってそれは何を意味しますか?