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November 2016

福音書はどう七夕に似ているかー織姫と彦星の物語

機織りの女の子と牛飼いの物語(七夕として祝われている)はとても有名です。私がこの物語を聞いた時、福音書ととても似ているところがあると思いました。しかし福音書では、1年に1回という特別な日だけに愛するもの同士が再会できるということではなく、歴史の中の特別な日のため、愛するもの同士はいつも一緒にいることができます。 福音書はとても古い物語で、人々の歴史の始まりからであり、そしてそれは聖書の中で見ることができます。それは古代のもので世界的な物語でありますが、日本人の多くにはあまり馴染みがありません。似ているものと比べることで、物語を学ぶのに役立ちます。それを心にとどめ、織姫と彦星の物語を通して福音書を見てみましょう。 機織りの女のこと牛飼いの物語の要約 ウィキペディアにのっているこの馴染みのある物語を復習してみましょう。 昔々、天の川のそばには天の神様が住んでいました。天の神様には、一人の娘がいました。名前を織姫と言いました。織姫は機を織って、神様たちの着物を作る仕事をしていました。織姫がやがて年頃になり、天の神様は娘に、御婿さんを邀えてやろうと思いました。色々探して見つけたのが、天の川の岸で天の牛を飼っている、彦星という若者です。彦星は、とても立派な若者でした。織姫も、かがやくばかりに美しい娘です。二人は相手を一目見ただけで、好きになりました。二人は結婚して、楽しい生活を送るようになりました。でも、仲が良過ぎるのも困りもので、二人は仕事を忘れて、遊んでばかりいるようになったのです。すると、天の神様のもとへ、皆が文句を言いに来るようになりました。「織姫が機織りをしないので、皆の着物が古くてボロボロです。早く新しい着物を作って下さい」「彦星が世話をしないので、牛たちが病気になってしまいます」神様は、すっかり怒ってしまい「二人は天の川の、東と西に別れて暮らすがよい」と、言って、織姫と彦星を、別れ別れにしたのです。でも天の神様は、織姫があまりにも悲しそうにしているのを見て、こう言いました。「一年に一度だけ、七月七日の夜だけ、彦星と会ってもよろしい」 それから、一年に一度会える日だけを楽しみにして、織姫は毎日、一生懸命に機を織りました。天の川の向こうの彦星も、天の牛を飼う仕事に精を出しました。そして、待ちに待った七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、彦星の所へ会いに行きます。 福音書の織姫と彦星 聖書は福音書の教えに沢山のイメージを使っています。神様と人々との関係示すための重要なイメージは、こども達を親の関係です。 不満や言い争いをしないで全てのことをしなさい。そしたらあなたは潔白で清く、そして歪んで曲がった時代の中の罪のない神様の子になれるでしょう。(ピリピ人への手紙2章14-15) 私たちは神様の生き写しとして作られたので、神様は私たちを星のように輝く神様のこどもとして作りました。この観念では、私たちは、星と同じように輝く天帝の娘である織姫に似ています。聖書は、ここで見られるように、神様と私たちの関係を占める他のイメージをも使っています。 若い男が若い女と結ばれるように、あなたの子らはあなたと結ばれ、花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ばれる。(イサヤ62章5) 織姫が彦星と恋をするために作られたように、人々は神様との愛を経験するために作られました。しかしこの愛は、特にイエスからであり、それは福音書の主人公なのです。彼は織姫を愛した彦星のようであり、イエスの愛はこのようだと言っています。 私はこう祈ります。あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活し、すべての聖徒と共に、そのキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解するように。(エペソ人への手紙3章17-18) イエス・キリストの愛はとても強いので、私たちにとって理解するのは難しいです。事実、夫と妻の愛をイメージして使われている聖書で記述されているイエスの愛なのです。 聖なる都、新しいエルサレムが夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見ました。(ヨハネの黙示録21章2) 最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」(ヨハネの黙示録21章9) 聖書でのイエスの肩書の一つは、「子羊」です。なので、このことは、彼の愛に帰る人々(花嫁)と子羊(イエス)とのあいだの素晴らしい結婚なのです。その状況は、織姫と彦星の間の多大な愛にとても似ています。 福音書の中の悪い出来事 これらの詩は、福音書の物語の最後で意図された結果を示します。しかし、福音書は、私たちの現在の状況を違う形で記述しています。実際、聖書は、広大な天の川によって話された織姫と彦星のように、神様から話された私たちを描写しています。 私達は、わがままなことを行い、言うため、離されました。それはー罪、と言えます。聖書の中でそれは、悪いことを行い、言ったり考えたりする原因になつ堕落として記述されています。これは、神様の潔白から私たちを引き離します。罪の結果はこの詩によって説明されます。 ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てました。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのです。(イザヤ59章2) 私たちは、織姫と彦星がお互いから離されたように、私たちの愛する者から離されています。織姫と彦星は、もし仕事を一生懸命にやるのであれば、7月の7日に会うことができます。多くの人は、それは神様と同じだと思っています。もし一生懸命働き、十分にささげ、他の人々に寛大であれば、彼らは切り離された橋から十分な功績を得るであろうと望みます。 しかし、それはうまくいきません。聖書はこう言います。 われわれはみな汚れた人のようになり、われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである。われわれはみな木の葉のように枯れ、われわれの不義は風のようにわれわれを吹き去る。(イザヤ64章6) 誰のことを話しているのか、気づいてください。それは「全て」と言っていて、悪い人や教育のない人や外国人、と言ってるのではありません。聖書を書いたイザヤも、「私たちの」と言っており、彼自身を含んでいます。彼はとても知的でありましたが、彼の正義の行動(よい功績を稼ぐためのよい行い)は汚れていました。… Read More »福音書はどう七夕に似ているかー織姫と彦星の物語

アブラハム:どのように神様は、神社(杜 , 大社)の場所を記すことで与えるのでしょう

アブラハムは、現代でいうイスラエルを旅しながら、4000年も前に住んでいました。彼は、偉大な民族になるであろう子孫を約束されましたが、彼は彼の子孫の誕生に出会うため、とても歳をとるまで待たなければいけませんでした。今日のユダヤ人やアラブ人は、アブラハムの子孫であり、私たちはその約束が果たされ、彼は偉大な民族の父として歴史の中で大切な人物だということを知りました。 アブラハムは、彼の息子であるイサックの成長を見ることがとても幸せでした。しかし、神様は、アブラハムを素晴らしい方法で試しました。このことは、すべての国民がいつか神様を礼拝するであろう場所である神社を位置するでしょう。神様はこう言いました。 「あなたの一人息子であるイサックを連れて来なさい。あなたが心から愛するその息子を。彼をモリヤへ連れて行き、イサックを私の捧げものとして焼き殺しなさい。」(創世記22章2) このことは、理解しがたいです。なぜ神様はこうするようにアブラハムに言ったのでしょうか?神様を信用することを学んだアブラハムでさえ、そのことを理解できませんでした。 そして次の日の朝早く起きて、イサックと二人の使用人を連れ、神様が伝えた場所に向かいました。(創世記22章:3) そして3日後、彼らはその「杜」へたどり着きました。そして 、、、彼らは神様から伝えられた場所にたどり着いた時、アブラハムは祭壇を作り、その上に薪を置きました。そして、彼は息子をしばりつけ、息子を薪の上に置きました。彼はナイフを手に取り、息子を殺す準備をしました。(創世記22章:9-10) アブラハムは、神様に従う準備をしました。そしてちょうどその時、注目すべきことが起こりました。 しかし、神様の天使が天国からこう叫びました。「アブラハム!アブラハム!」 「私はここにいます。」アブラハムは答えました。 「その男の子をどんなやり方でも傷つけたり、痛めつけたりしてはいけません。」と天使は言いました。「今私は、あなたが本当に神様に従うのかわかりました。なぜならば、あなたは神様にたったひとりの息子を差し伸べようとしたからです。」 アブラハムがふと見上げると、木々の中に角を絡ませて動けないでいる雄羊を見つけました。そして彼は雄羊を捕まえ、彼の息子の代わりに雄羊をいけにえにしました。(創世記22章:11-13) その最後の瞬間、イサックは死から逃れ、アブラハムは雄羊を見つけ、その代わりに雄羊をいけにえにしました。その雄羊は、イサックの身代わりになりました。この場所は、神様が存在し、そこでイサックのために提供したので、神聖な場所でした。 ここで、質問があります。この物語のこの時点では、その雄羊は死んでいるでしょうか、それとも生きているのでしょうか? なぜそのように質問するのでしょうか?なぜならば、アブラハムがその場所に名前を付けようとするからです。しかし、ほとんどの人は、その大切さを逃しています。その物語は続きます。 アブラハムは、その場所を「神様のその山の上で与えられる」と名付けました。そして今でも人々は、「神様のその山の上で与えられる」と言っています。(創世記22章:14) ほかの質問;アブラハムが名付けた場所「神様は与えてくださるだろう」は、過去、現在、それとも未来の文型でしょうか? 過去ではなく、未来に向けて それは、確実に未来の文型です。多くの人々は、アブラハムがその神聖な場所を名付けた時、やぶに絡まった雄羊のことを考え、イサックの代わりにいけにえにしたと考えています。しかし、アブラハムがそこを名付けた時はもうすでに雄羊は死んでいて、いけにえにされていました。もしアブラハムがその、もうすでに死んでいていけにえにされた雄羊を考えていたのであれば、彼はその場所を、過去の文型である「神様は与えてくださった」と名付けたでしょう。そしてその次のコメントは、「そして今でも人々は、「神様のその山で与えられた」」となったでしょう。しかしその名前は、過去ではなく、未来を示しています。アブラハムは、もうすでに死んでいる雄羊を考えていたのではありません。彼は、その場所を、未来の別なこととして名付けているのです。しかし、それは何なのでしょうか? それはどこなのでしょう? このいけにえが起こったのは、どこか覚えておいてください。その物語のはじめでこう話されています。 「イサックを連れて行きなさい。彼を、モリヤの地に連れて行きなさい」 これは、モリヤで起こりました。それはどこなのでしょう?それは、アブラハムの時代(紀元前2000年)では、木々や野生の羊がいる荒地であり、アブラハムとイサックはその山にいました。しかし1000年後(紀元前1000年)そこに、デビット王はエルサレムの地を作り、そして彼の息子であるソロモンは、そこに初代のユダヤ教のお寺を作りました。(日本でいう大社)私たちは、旧約聖書のなかでこう学びます。 そして、ソロモンは、モリヤの山でエルサレムの神様であるお寺を建て始めました。(歴代志2、3章1) モリヤの山は、ユダヤ教のお寺のあるユダヤ人の町である、エルサレムになりました。今日では、そこはユダヤ人にとって聖地であり、エルサレムは、イスラエルの首都であります。… Read More »アブラハム:どのように神様は、神社(杜 , 大社)の場所を記すことで与えるのでしょう