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裁判中のイエス

「人の子」とは何ですか?イエスの裁判における矛盾

聖書ではイエスについていくつかの敬称が使われています。最も有名なのは「キリスト」ですが、「神の子」と「神の子羊」も頻繁に使用されます。しかし、イエスはよく、自分自身を「人の子」と呼びます。これは何を意味し、彼はなぜこの言葉を使うのでしょうか? イエスの裁判において、彼の「人の子」という言葉を使うことによる皮肉が際立っています。ここではそれについて探っていきます。 多くの人は、イエスの裁判について多少なりとも馴染みがあるかもしれません。おそらく、映画で描かれた裁判を見たり、福音書で読んだりしたことがあるのではないでしょうか。しかし、福音書に記録されている裁判の内容には、いくつかの深刻な矛盾が存在します。これは受難週の6日目にあった出来事の一部です。ルカは私たちのために裁判の詳細を記録しています。 66 夜が明けそめるころ、ユダヤの最高議会が開かれました。祭司長をはじめ、国中の指導者が勢ぞろいしています。そこへイエスは引き出され、 67-68 尋問が始まりました。「ほんとうに、おまえはメシヤ(救い主)なのか。はっきり言いなさい。」イエスは言われました。「そうだと言ったところで、信じる気はないでしょう。釈明させるつもりも。 69 しかし、栄光のメシヤであるわたしが、全能の神の右の座につく時はもうすぐ来ます。」 70 議会は騒然となり、尋問の声も荒立ってきました。「なに!あくまで神の子だと言いはるつもりか!」「そのとおりです。」イエスはお答えになりました。 71 「これだけ聞けば十分だ! 彼の口から確かに聞いたのだから。」議員たちは叫びました。 ルカの福音書 22:66-71 イエスが「キリスト」であるかどうかという質問に、イエスが答えていないことに注目してみましょう。代わりに、彼はまったく異なる「人の子」について言及しています。しかし、彼の告発者たちは、その突然の話題の変更に戸惑っている様子はありませんでした。彼がキリストであるかどうかは答えなかったにもかかわらず、何らかの理由で彼らは彼の言葉を理解したようです。 なぜでしょう?「人の子」という言葉はどこから来て、どういう意味なのでしょうか? ダニエルの「人の子」 「人の子」という言葉は、旧約聖書のダニエルに由来しています。彼は予見を明確に記録しており、その中で「人の子」について言及しています。ダニエルが自分の予見を次のように記録しています。 9 見ていると、幾つかの王座が備えられ、 全能の神が審判のため、 その座におつきになりました。 その衣は雪のように白く、 髪の毛は純白の羊毛のようでした。 燃える車輪で運ばれて来た火の王座に、 神は座りました。 10 神の前からは火の川が流れ出ていました。 何百万の御使いが神に仕えており、 何億という人が神の前に立って、 さばきを待っていました。 それから法廷が開かれ、 幾つかの書物が開かれたのです。 ダニエル書 7:9-10 13 次に、人のように見えるお方が、… Read More »「人の子」とは何ですか?イエスの裁判における矛盾